大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

大阪地方裁判所 昭和54年(ワ)4396号 判決

原告

狩浦怜子

外二名

右原告三名訴訟代理人

原滋二

被告

日本生命保険相互会社

右代表者

弘世現

右訴訟代理人

三宅一夫

外四名

被告

ザ・ホーム・インシュアランス・カンパニー

右日本に於ける代表者

ウイリアム・ティー・クロール

右訴訟代理人

芝康司

外五名

主文

1  被告日本生命保険相互会社は、原告狩浦怜子に対し、金一一〇〇万円及びこれに対する昭和五四年八月一四日から右支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

2  被告ザ・ホーム・インシュアランス・カンパニーは、原告狩浦怜子に対し金二五〇〇万円を、原告狩浦真紀に対し金五〇〇万円を、原告狩浦一昭に対し金五〇〇万円を、及び右各金員に対する昭和五四年八月一四日から右各支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

3  訴訟費用は、被告らの負担とする。

4  この判決は、第一、二項に限り、仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

原告ら代理人は、主文第一ないし第三項と同旨の判決並びに仮執行の宣言を求め、被告日本生命保険相互会社(以下被告日本生命という。)代理人は、「原告狩浦怜子の請求を棄却する。訴訟費用は同原告の負担とする。」との判決を求め、被告ザ・ホーム・インシュアランス・カンパニー(以下被告ホームという)代理人は、「原告らの請求を棄却する。訴訟費用は原告らの負担とする。」との判決を求めた。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  訴外狩浦昭壽(以下、昭寿と略記する。)は、被告日本生命保険相互会社(以下、被告日本生命という。)との間に左記(一)、(二)記載の生命保険契約を、被告ザ・ホーム・インシュアランス・カンパニー(以下、被告ホーム保険という。)との間に左記(三)、(四)記載の生命保険契約を、各締結した。

(一)

(1) 契約年月日  昭和四二年一〇月四日(証券番号五四四―一六三八六八七)

(2) 保険金  主契約(死亡保険) 三〇〇万円  災害保障特約(災害保険) 一〇〇万円

(3) 被保険者 昭寿

(4) 被保険者死亡の場合の保険金受取人

原告狩浦怜子(以下、原告怜子という。)

(二)

(1) 契約年月日  昭和四八年一〇月一九日(証券番号〇二六―一五九一六〇三)

(2) 保険金  主契約(死亡保険)  一〇〇〇万円  災害保障特約(災害保険) 一〇〇〇万円

(3) 被保険者  昭寿

(4) 被保険者死亡の場合の保険金受取人

原告怜子

(三)

(1) 契約年月日  昭和五二年一二月二二日(証券番号六七〇AB三二七六八八)

(2) 保険金  自損事故保険金 一〇〇〇万円  塔乗者傷害保険金 五〇〇万円

(3) 被保険自動車 登録番号泉五六せ九八二九号

(四)

(1) 契約年月日  昭和五三年六月二六日(証券番号六七〇PB〇二六八四三)

(2) 保険金  死亡保険金 二〇〇〇万円

(3) 被保険者  昭寿

(4) 被保険者死亡の場合の保険金受取人

原告怜子

2  前記(一)及び(二)記載の保険契約においては、被保険者が偶発的な外来の事故(不慮の事故)により死亡したときは、いずれも死亡保険金の他に災害保険金(保険契約(一)では金一〇〇万円、同(二)では金一〇〇〇万円)が死亡保険金に上乗せして死亡保険金受取人に支払われる旨の災害保障特約が存在する。

3  昭寿は、昭和五三年一二月七日、大阪府泉佐野市住吉町の泉佐野港において、前記1の(三)記載の被保険自動車(以下昭寿という。)を運転中、右自動車ごと岸壁から海中に転落し、同日死亡した。

4  原告怜子は、昭寿の妻、原告狩浦真紀(以下、原告真紀という。)、同狩浦一昭(以下、原告一昭という)は、いずれも昭寿の子であり、昭寿が被告ホーム保険に対して有する前記1の(三)記載の保険金請求権(金一五〇〇万円)を各三分の一宛相続した。

5  よつて、原告怜子は、被告日本生命に対し、前記1の(一)、(二)記載の保険契約の災害保障特約に基づき、前記各災害保険金の合計一一〇〇万円の、被告ホーム保険に対し、前記1の(四)記載の昭寿死亡による保険金二〇〇〇万円及び同(三)記載の自損事故保険金、塔乗者傷害保険金の合計金一五〇〇万円のうち、同原告が相続した(相続分は三分の一)金五〇〇万円の、各支払いと、右各金員に対する本訴状送達の日の翌日である昭和五四年八月一四日から右各支払ずみに至るまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

また、原告真紀、同一昭は、それぞれ被告ホーム保険に対し、前記1の(三)記載の自損事故保険金、塔乗者傷害保険金の合計金一五〇〇万円のうち、右原告両名が相続した(相続分は各三分の一)各金五〇〇万円宛の支払と、右各金員に対する本訴状送達の日の翌日である昭和五四年八月一四日から右各支払ずみに至るまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  被告日本生命

請求原因1項の(一)及び(二)記載の各生命保険締結の事実、同2項及び同3項記載の各事実は、すべて認める。

2  被告ホーム保険

(一) 請求原因1項の(三)及び(四)記載の各生命保険締結の事実はいずれも認める。

(二) 同3項記載の事実も認める。同4項記載の事実は知らない。

三  抗弁

1  被告日本生命

(一) 被告日本生命と昭寿との間に締結された生命保険の災害死亡保険金の給付に関する点では、前記請求原因1の(一)記載の保険については、昭和三九年四月一日制定、昭和四〇年七月一九日改正の災害保障特約(以下三九特約という)が、同1の(二)記載の保険については、昭和四五年一〇月二日制定、昭和四八年六月二一日改正の災害倍額支払定期保険特約(以下、四五特約という)と昭和四六年一〇月一二日制定の家族保障選択特則付災害保障特約(以下四六特約という)が、それぞれ適用され、右のいずれの特約も被保険者自身の故意(自殺)または重大な過失により、被保険者の死亡という保険事故が生じた場合には、保険者たる被告日本生命は、災害死亡保険金の支払を免責される旨定めている(三九特約一四条一号本文、四五特約五条一号、四六特約一六条一号、以下免責条項という)。

(二) 本件事故は、被保険者である昭寿の故意によつて招致されたものであるから、右免責条項に該当し、被告日本生命には災害保険金の支払義務はない。

すなわち、昭寿死亡の状況等は次のとおりである。

(1) 本件事故発生当時の天候は晴天、時刻も昼で、自動車の視界を妨げるものは全くなく、見通しは良好であつた。岸壁の側端には高さ約一六センチメートル、長さ約一五二センチメートルの車両転落防止用の車止めブロックが、約五〇センチメートル間隔で設置されており、自動車の運転者が通常の注意をもつて運転すれば、誤つて自動車を海中に転落させるような危険のある場所ではない。

(2) 昭寿は、自動車の運転については一〇年以上の経験を有していたにもかかわらず、転落する際にブレーキをかけることもなく、かなり加速した状態で、岸壁の車止めブロックが磨滅(巾約一〇センチメートル、高いところで高さが約六センチメートル)している個所から、海中に転落した。

(3) 昭寿が運転していた自動車は、海中に転落後約七分から八分間海上に浮かんでいたのであるから、同人が自動車から脱出する時間的余裕は十分あり、同車が海中に転落した際に駆けつけた人達から、脱出を勧める呼びかけがあつたにもかかわらず、着用していたシートベルトをはずす等脱出のための措置を全く行わないで、ハンドルを握りしめ、眼を見開いたまま自動車と共に海中に沈んでいつた。海中から引き上げられたとき、昭寿車のシフトレバーは、「ドライブ」の位置に入つており、ハンドブレーキはかかつておらず、フットブレーキをかけた様子もなかつた。昭寿の着用していたシートベルトは、押ボタン式のもので、シートベルトを解除するのに、約三秒程度しか、かからないものである。

(4) 自動車が海中に転落する前や、転落後に、昭寿が意識を喪失していたような状況は全くなかつた。

(5) 昭寿の検死を行つた梶野医師は、自殺と判断した。

(6) 自殺には、自殺者に特に自殺の動機となるものがないとされるものも多く、昭寿に動機として際だつたものがなくとも、同人の死が自殺でないとはいえないうえ、昭寿は、昭和五三年四月に、それまで自営していた狩浦木材商工の仕事がうまくゆかず清算し、以前勤めていた黒田商店の系列下の八坂商工に勤めはじめ、昭寿の妻である原告怜子も働きはじめたこと、同年九月に右八坂商工を退職し独立していたが、同年一一月頃右黒田商店に金三〇万円の取引上の迷惑をかけ、死の直前には三台あつた車の一部を処分していたことから、事業が順調であつたものとはいえず、家庭の内でも必ずしも円満であつたとはいえないから、自殺の動機は存在したものである。

右のような状況下における昭寿の死は、自殺と考えるのが妥当である。

(三) 仮に、昭寿の死が自殺でないとしても、同人の死は、同人の重大な過失に基くものであるから、被告日本生命には、保険金支払の義務はない。即ち、

(1) 本件事故の際に、昭寿が、一般の運転者に要求される程度の前方注視義務を尽していれば、岸壁の側端を事前に察知して待避措置を講じることが出来たはずであり、また、転落の直前にブレーキをかけたり、ハンドルを操作して車止めブロックに自動車を衝突させていれば、本件転落事故は容易に防止できたのに、昭寿は無暴にも加速したことは重大な過失である。

(2) また、昭寿は、自動車ごと海中に転落しても、前記のとおり、自動車は七、八分間海上に浮かんでいたにもかかわらず、シートベルトを解除したり、運転席の窓等から脱出する等の脱出行為を全く行なつていない。昭寿が脱出するための方法を講じていれば、容易に脱出できたにもかかわらず、何ら脱出行為をせずに溺死したことは、重大な過失というべきである。

(四) なお、相被告の主張を利益に援用する。

2  被告ホーム保険

(一) 被告ホーム保険と、昭寿との間で締結された請求原因1の(三)、(四)記載の保険契約は被保険者(昭寿)の故意によつて生じた傷害(死亡を含む)については、保険金支払の義務がない旨定めている。

(二) 本件事故は、昭寿の自殺によつて生じたものである。すなわち、本件事故については次のような事実がある。

(1) 昭寿車が海中に転落した時刻は昼間で、天候も良く(晴)現場の見通しは良好であつた。夜間であれば、先の見通しがきかないため、まだ陸地が続いていると錯覚して転落することも考えられるが、本件では見通しを誤るような条件は全くなかつた。

(2) 昭寿車は、岸壁から直角にまつすぐ海中に転落しており、ハンドル操作を誤つて転落したものとは考えにくい。ハンドル操作を誤つたのであれば、岸壁から斜めに左右どちらかに傾いて着水するはずである。

(3) 昭寿車はオートクラッチ車で、海中から引き上げられたとき、同車のセレクトレバーは「ドライブ」の位置に入つており、サイドブレーキは引かれていなかつた。同車が沈んでいた地点は岸壁から約四メートル離れた地点であつた。

経験のある運転者ならば、停車中は習慣的にサイドブレーキをかけるものであり、昭寿車が停車中に何らかの事情で自然に動き出し、たまたま車止めが磨滅していた個所(岸壁は平坦に舗装されており、岸壁の端には、長さ約一五〇センチメートル、巾約二六センチメートル、高さ約一六センチメートルの車止めブロックが約五〇センチメートルの間隔で設置されている)から海中に転落したとの仮定は、同車が岸壁の端から約四メートル先まで飛んでいることから不合理であり、昭寿は転落時はアクセルペダルを踏んで走行していたものと考えるのが妥当である。なお、岸壁と海面との高低差は1.5メートルから2メートルで、岸壁上には同車のスリップ痕はなかつた。

(4) 昭寿車が海中から引き上げられたとき、昭寿はシートベルトを付け、ハンドルに手をかけて従容として死亡していた。シートベルトを着用している運転者が皆無に等しい現状であること、シートベルトをはずすのに要する時間は数秒であり、昭寿車は海中に転落してから数分間、通常の姿勢で海上に浮んでいたにもかかわらず、シートベルトがはずされていないことは不可解である。また転落場所付近で魚釣りをしていた者や、昭寿車が海面に転落後、現場に駆けつけた者達は、昭寿が救助を求める声や、脱出しようと努力する姿を目撃していないし、死亡時の昭寿の状態からも、同人が助かろうと努力した形跡は窺われない。昭寿車の転落は、昭寿の覚悟のうえの行為であると解するのが相当である。

(5) 昭寿に自殺するような動機が乏しかつたとしても、自殺の理由は複雑で各人各様であるうえ、表面的には自殺の理由が明らかでなくとも、自殺した当人は、他人には言えない重大な悩みを抱えていたということも十分考えられ、本件事故現場は、通常の道路から離れた交通閑散な場所で、昭寿にとつて商売上の用事があつたとは考えにくい場所であること等から、単に自殺の動機が薄弱であるということだけから、昭寿の死が自殺でないと言うことは出来ない。

(6) 死体を検案した警察医(梶野医師)は、昭寿の死を自殺と判断している。

(7) 昭寿は、シートベルトを装着していたのであるから、自動車の天井等に頭部を打ちつける可能性はなく、転落のショックによる意識喪失の可能性はなかつた。

(8) なお、相被告の主張を利益に援用する。

(三) よつて、昭寿の死は、自殺によるものであるから、被告ホーム保険は、右保険約款に基き、本件各保険金の支払義務はない。

四  被告らの抗弁に対する認否

1  被告日本生命の抗弁(一)記載の事実を認める。同(二)記載の、昭寿の死亡が、同人の自殺によるものであること及び同(三)記載の本件事故が昭寿の重大な過失によつて生じたとの各主張を争う。

同(二)(1)記載の事実中、本件事故発生の時刻が昼間であること、天候が晴であること、視界の状況も良かつたこと、岸壁の側端に被告日本生命主張のような車止めのブロックが設置されていたことを認め、その余の事実は知らない。同(二)の(2)記載の事実中、岸壁の車止めブロックの磨滅した個所があることは認めるが、その余の事実は知らない。同(二)の(3)記載の事実中、昭寿が死亡時にシートベルトを着用していたこと、シートベルトは押しボタン式で、約三秒間で解除することができること、昭寿車のセレクトレバーは「ドライブ」の位置に入つており、サイドブレーキは、かかつていなかつたことを認め、その余の事実は知らない。同(二)の(5)記載の事実は認めるが、判断の妥当性は争う。

2  被告ホーム保険の抗弁(一)記載の事実は認める。同(二)の昭寿の死が自殺であるとの主張は争う。同(二)の(1)記載の事実中、本件事故の時刻が昼間で、天候が晴であること、見通しが良好であることは認める。同(二)の(2)記載の事実は知らない、同(二)の(3)記載の事実中、昭寿車がオートクラッチ車であり、セレクトレバーが「ドライブ」の位置にセットされていたこと、サイドブレーキが引かれていなかつたこと、同車が沈んでいた地点は岸壁から四メートルの地点であること、岸壁は平坦に舗装され、岸壁の端には、被告主張のとおりの車止めが設置されていること、車止めのブロックのなかには磨滅したものもあること、岸壁から海面までの高低差は1.5メートルから2メートルであること、岸壁上には昭寿車のスリップ痕がなかつたことは認め、その余の事実は知らない。同(二)の(4)記載の事実中、昭寿車のハンドルを握り、シートベルトを着けたままの姿勢で死亡していたこと、シートベルトをはずすのに要する時間は数秒間であることを認め、その余の事実は知らない。同(二)の(5)記載の事実中、本件事故現場が自動車の通行がない場所であることを認め、その余の被告ホームの主張は争う。同(二)の(6)記載の事実は認めるが、死体検案医の判断の妥当性は争う。

3  昭寿が自殺したと考えるのは、左記の理由から困難である。

(一) 昭寿には、事故当日や、その前にも不審な言動はなかつた。

(二) 昭寿は、事業の上で多額の負債を負つているとか、債権者から追われている等の事情はなかつた。

(三) 昭寿の家庭生活は平穏で、健康にも不安はなく、性格も明朗で、自殺するとは考えられない。

(四) 覚悟の自殺であれば、相当の速度で海中へ突入するであろうが、昭寿車は岸壁から僅か四メートルしか離れていない場所に落下、沈没しており、同車が低速で転落したことを窺わせる。岸壁から滑り落ちても、海底に達するまでには、水の抵抗もあり四メートル程度は進むものと思われる。

(五) 昭寿が脱出できなかつた理由としては、昭寿が何らかの理由で意識を失つていたという可能性も否定できない。

第三  証拠関係〈省略〉

理由

第一まず、原告らの被告両名に対する各請求原因について判断する。

一原告狩浦怜子と被告日本生命との間においては、請求原因1項の(一)及び(二)記載の各生命保険締結の事実、同2項及び同3項記載の各事実については当事者間に争いがない。

二また、原告三名と被告ホーム保険との間においては、請求原因1項の(三)及び(四)記載の各生命保険契約締結の事実並びに同3項記載の事実については当事者間に争いがない。

三また、原告らと被告らの間において、〈証拠〉(本籍大阪府堺市菱木四一九番地の一九狩浦昭壽(昭和五三年一二月七日推定午後二時二〇分泉佐野市で死亡)の戸籍謄本)によると、原告狩浦怜子(昭和一七年一月二〇日生)は昭和四二年一〇月二六日右亡昭壽と結婚し、長女真紀(昭和四三年一月二四日生)と長男一昭(昭和四四年二月二六日生)の二子をもうけ、亡昭壽なきあとは、妻原告怜子が右二人の子供原告真紀と同一昭の各親権者となつていること、従つて、原告三名は亡昭壽の相続人であり、その相続分は各三分の一であること、が認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

第二被告両名の「自殺」の抗弁について。

ところで、被告両名は、事実欄第二の三項記載のとおり、亡昭寿の死亡は、同人の自殺によるものである旨抗弁し、原告らは、事実欄第二の四記載のとおり「自殺でない。」旨抗争するので、次に、この点について判断する。

一被告ら主張の事実欄第二の三の1の(一)及び同2の(二)記載の各事実及び本件事故発生時の天候は晴天で、日中でもあり、視界は良好であつたこと、岸壁の側端には車止め用のブロックが設置されていたが、ブロック中には磨滅しているものもあること、及び昭寿車のシフトレバーは「ドライブ」の位置に入つており、サイドブレーキはかけられておらず、昭寿は運転席に坐りシートベルトを使用していたことについては、原告らと被告ら間において、当事者間に争いがない。

二前記争いのない事実に〈証拠〉を綜合すると、次の事実を認めることができる。即ち、

1(昭寿の経歴、家族関係、経済状態等について。)

(一)  昭寿は、長崎県五島列島の出身で、中学校卒業後大阪に来て自動車修理工、ガラス問屋の店員等の職を経て原木販売業を営む黒田敬商店に勤め、昭和四六年同商店を退職後独立して集成材等の販売業を始めたこと、昭寿の仕事は、折からの建築ブームに乗り好調であつたが、昭和五一年ころから木材の市況も不景気となつたことから、昭和五三年春ころ営業を一旦清算して同年五月ころから右黒田敬商店の系列会社である八坂商工に勤めたが、同年九月ころ再び独立して木材のブローカーを始めたこと。

(二)  昭寿の性格は、明るく多弁な方で幼少の頃からのキリスト教徒(カトリック)であつたこと、昭寿の生活は規則正しく、午後九時過ぎに家を出て午後六時ころ帰宅しており、同人の健康状態に特段の異状はなく、友人関係や女性関係をめぐる問題もなかつたし、妻との関係も円満で、子供を可愛がつており、子供会の会長を勤めるなど地域社会での活動も活発であつたこと。

(三)  昭寿は、妻に生活費として月額金二五万円程度を渡しており、昭寿が八坂商工に勤務した際は、准看護婦の資格を有する原告怜子が看護婦として近くの病院で働いて昭寿の収入の減少を補つたこと、昭寿は昭和四九年に自宅を金一八〇〇万円で購入した際、泉州銀行から金八〇〇万円借り入れ、毎月金七万円返済しており(本件事故当時の残額は金七三六万円であつた)、また、国民金融公庫からの借り入れもあつたが(本件事故当時の残額は金四五万三〇三七円)、その他には特段の借入金もなく、右借入金の返済が滞つていたとの事情も窺われないこと、昭寿の銀行預金は、泉州銀行に定期預金が金一〇〇万円、当座預金が金一〇九万円程度あつたこと。

(四)  昭寿は本件事故当日は、午前九時すぎころ泉佐野へ材木を見に行くと言つて家を出たが、その際、週刊誌を持つていたので、原告怜子が読ませてほしいと言つたが、昭寿は先に読むからと言つて持つて出ており(右週刊誌は転落した昭寿車内から発見されている)、また、昼にはいつもの如く、何か用事はないかと自宅に連絡する等、普段と異なる様子はなかつたこと、また、昭寿は、魚釣りはしないが、釣りをしているのを見に行くことは好きな方で、子供達を、釣りを見に連れて行つたこともあつたこと。

(五)  昭寿は、本件事故前の昭和四二年七月に大阪府箕面の山道からハンドルを切り損ねて転落し頭を負傷したことがあり、同人の運転操作は、やや強引なところがあつたこと。本件事故の一週間から一〇日前に、衝突事故を目撃し、これからはシートベルトを着用しなければいけないと原告怜子に話していたこと。

2(事故現場の状況等について。)

(一)  前記争いのない事実のほか、昭寿車が転落した場所は、泉佐野市の食品コンビナート港内の岸壁からであること、同岸壁上は、巾員11.4メートルを有する舗装された平坦な場所で、岩壁東側は巾員3.1メートルの排水溝(鉄製の蓋あり)を隔てて空地となつていて、右空地の東側は道路となつていること。

(二)  同岸壁の海側の地点には、車止めブロック(以下単にブロックという)が設置されているが、破損していないブロックは高さが三〇センチメートル程度あるも、昭寿が転落した付近のブロックは角が破損して丸くなり高さが健全なブロックの半分以下となつていたこと、右ブロックの破損部分は、長さ10.12メートルに渡つて続いていたこと、また、本件事故現場付近だけでなく、他にも車止めブロックが破損している個所もあつたこと、海面から岸壁の上までの高さは約1.5メートル、岸壁付近の海の水深は約九メートルであつたこと。

(三)  昭寿車は、岸壁から五メートル離れた海中に、車の前部を北に向け南北にのびる岸壁に平行して沈んでいたこと、引上げ時の同車の状態は、同車のエンジン・キイは「ON」でハンドルは右に一杯に転把されており、窓ガラスは運転席のみ開放、ドアは全部施錠されていたこと、同車の左前部の角及び左前輪のフェンダーは破損し、フェンダーは前方から力が加わつたため外側に突き出て折れ曲つていたこと。

(四)  昭寿の死体の様子は、運転姿勢で、服装に乱れはなく、鼻腔、口腔に水泡があり、死体検案書には外傷の記載はなく、所持品は、現金一万二五〇五円、定期券入れ等で、遺書はなく、死体を検案した医師は昭寿の死を溺水死と判断したが、死体解剖等はなされなかつたこと、死体を検案した梶野医師は、自動車が海上に二、三分間浮いていたのに昭寿は全く車から脱出する行動をとつていないこと、高速道路でもないのにシートベルトを着用していたこと及び岸壁上にブレーキをかけた形跡がなかつたことから、昭寿の死亡は自殺によるものと判断したこと。

(五)  西阪栄一は、岸壁で魚釣りをしている人を見る目的で単車を運転して岸壁上を通行中、約二〇〇メートル前方で物体が海中に落ちる水音を聞き、事故現場に急行したこと、同人は、岸壁から転落するまでの昭寿車の動静は見ていなかつたが、事故現場に駆けつけてみると、昭寿車は前部を北に向けて岸壁と平行の状態で約五メートル沖の海上に浮び、運転席には昭寿が坐つて苦しげに体を前後に揺つているのが見えたこと、右西阪は、事故現場に駆けつけた他の三名の人達と共に、昭寿に対し、「早く出てこい、」などと呼びかけたが、昭寿は顔を前方に向けたままで、右西阪らの方を見たり、声を出すこともなく、また、窓ガラスを開けたりシートベルトをはずす等の動作も見られず、右西阪らの呼びかけに対し、全く反応を示さなかつたこと、昭寿車の運転席側ドアの窓ガラスは、約一〇センチメートル程度開いており、昭寿はシートベルトを着用していたこと、右西阪は事故現場で前記のとおり三回ほど昭寿に声をかけた後、警察に通報しようと約五〇〇メートル離れた公衆電話ボックスまで単車で赴いたが(時速約六〇キロメートルで走行)、電話ボックス付近で現金を所持していないことに気づき、電話はしないで再び右速度で事故現場まで引き返したこと、警察には、本件事故当日の午後二時一二分に訴外浮穴芳彦から通報があつたこと、昭寿車は、右西阪が事故現場に再び戻つてきた直後に車の前部から急角度に海中に沈んだこと、同車が浮いていた時間は、約三分間程度であつたこと。

以上の各事実が認められ、乙第四号証の記載、証人斉藤史朗、同西阪栄一及び同梶野義一の各供述のうち、前記認定に反する各記載部分及び各供述部分はいずれも後記三で判断するとおり、前顕証拠と比照してにわかに信用できないし、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

三ところで、以上の認定事実より明らかなとおり、昭寿の死が自殺であるかどうかは、同人の遺書等直接の証拠の存しない本件にあつては、以上認定事実によつて、これを綜合して、昭寿が自殺したものか否かを推認するより方法がないので、以下被告両名主張の自殺の前提たる間接事実に基づく自殺の主張につき、以上認定の各事実に基づき順次判断することとする。

1  被告らは、日中見通しの良い岸壁からブレーキをかけた形跡もなく海中に転落したことは不自然である旨主張するが、

(一) 前記認定の如く、同車は岸壁に平行の状態で海上に転落しており、ハンドルは右に一杯に転把された状態で海中から引き上げられているのであつて、このことは、昭寿が岸壁上に自動車を海に面して駐停車させた後発進し、同車を転回させようとしていたか、あるいは何らかの理由で岸壁から転落しそうになつたので、それを避けるべく、早く右に転回しようとアクセルを踏んで加速し、右に一杯に転把したことから、同車は岸壁に直角の方向ではなく平行した状態で海面に落下したものと解するのが合理的である。

尤も、斉藤証人作成にかかる〈証拠〉には、昭寿車が岸壁に直角(東から西へ)に走行し、そのまま転落したように記載されているが、同証人の証言によると、右図示された同車の進路は推測にすぎず明確な根拠を有するものではなく、また、同証人の証言中には同車は一旦岸壁に直角に落下した後、波の影響により岸壁と平行になつたのではないかとの供述も存するが、これも単なる推測で、特段の根拠を有するものではないことは、同証人の供述自体から明らかであり、前記認定のとおり、西阪証人が同車の転落直後に目撃した際にも同車は岸壁に平行に浮かんでいたのであるから、右斉藤証人の右各供述はにわかに信用できない。

(二) また、前記認定事実によると、昭寿は一〇年余の運転歴を有するが、運転方法については幾分強引なところが見受けられたようであり、同人は本件事故の際に危険を感じた際にブレーキを踏むよりもハンドル操作により回避できると判断したのではないかとも推察されるところ、一〇年余の運転経歴があれば日中見通しの良い岸壁から自動車を転落させる可能性は大きくないとはいえ、自殺を図る場合のほかは考えられないとまでは断定し難い。

(三) 前記認定のとおり、岸壁上の車止めブロックは、本件事故現場付近以外にも破損個所が散見しうることから、岸壁上にある唯一の車止めブロック破損個所から昭寿車が転落したものと解することは出来ない。

(四) 前記認定のとおり、昭寿車が転落した時間は日中で、岸壁で魚釣りをしている人もいたことから、仮に自殺を図つたとしても、発見され易く救助される可能性が高いと考えられ、自殺する時間帯としては不自然である。

(五) 物理学の法則によると、物体の飛距離「l」と落下高度「h」が判明している場合には、物体の飛び出し速度「V」は、の計算式により求められる。(自動車事故工学解析研究所編、図解自動車事故解析事例集基本編五八頁参照)本件では、前記認定事実により、lは五メートル、hは1.5メートルとして計算すると、昭寿車の飛び出し速度は、時速三五キロメートル以下で特段に猛スピードであつたとは、考え難い。

以上のように推認することが出来るから、昭寿車が昼間見通しの良い岸壁からブレーキをかけた形跡もなく海中に転落したことをもつて、直ちに昭寿車の転落は昭寿の自殺によるものと認定することは困難で、同車のハンドルが右に一杯に転把されており、同車が岸壁と平行に海上に浮いていたことは、昭寿が自殺するつもりならば、岸壁から直進して海中に飛び込めば足り、右に転把する必要性は少しもないから、昭寿は岸壁から転落することをハンドルを右にきることによつて回避しようとしていたものと推認するのが相当である。

2  次に、被告らは、昭寿車は海面上に数分浮いていたにもかかわらず、昭寿が自動車から脱出する措置をとらなかつたのは、同人に自殺の覚悟があつたと解さなければ不自然であると主張するので検討する。

(一) 昭寿車が海面上に浮かんでいた時間については、証人西阪栄一の証言には約七、八分間あつた旨の供述もあるが、右の時間は、同証人の供述から明らかなように、同証人の「勘」に基づくものであつて、腕時計等で計測した結果に基づくものではなく、昭寿車が転落後に同証人がとつた行動に要すると考えられる時間や本件事故直後(記憶が新鮮であると考えられる時期に)同証人は、警察官に対し、車は約三分間位浮いていたと述べていること等から、前記認定のとおり、昭寿車が海面上に浮いていた時間は、約三分間程度と推認するのが相当で、右西阪証人の供述部分はにわかに信用できない。

(二) 昭寿は、前記認定のとおり、西阪証人らが目撃していた時に、昭寿車の窓ガラスを開けたり、シートベルトをはずす等の脱出のための動作は全く見られず、また、右西阪らが大声で昭寿に車から早く出るようにと呼びかけても、同人は何の応答もしなかつたことは、被告ら主張のとおりである。

ところで、被告らは、昭寿車が海上に落ちてから海中に没するまでの間、昭寿の意識が明瞭であつたと考え、意識がありながら脱出しなかつたことを自殺の疑いが濃いことの理由としており、証人梶野義一の証言中には、「自動車が海面上に落下しても人体の受ける衝撃はあまりないのではないか、」との供述もないではないが、同証人の供述自体から明らかなとおり、右供述は推測によるもので各種の実験結果等に基づくものではなく、同証人も昭寿の身体にどれだけの力が加わつたか不明であると供述している。昭寿車が、前記認定のとおり、しばらく海面上に浮かんでいたことや、同車の破損状況、推定される前記飛び出し速度等から勘案すると、岸壁から約1.5メートル下の海面に浅い角度で車の前部からやや左に傾いて着水したものと推認され、同車に乗つていた昭寿に右衝撃が伝わつたであろうことは容易に推察され、その程度も、前記認定のとおり、西阪証人が昭寿を最初に目撃した際、同人は転落時にシートベルトを着用していながら、苦しそうに身体を前後に揺つていたのを同証人が目撃しているのであるから、相当程度強いものであつたと推認される。また、前記認定事実によると、さらに、その後の昭寿は、そのうちに身体を動かさなくなり、眼は明けていたが同証人が大声で呼んでも、窓ガラスは一〇センチメートルほど開いており声が聞えるはずなのに、顔を向けたり、応答することもなく、反応を示さなかつたのである。昭寿が、意識を有しながらも、同証人らを全く無視していたため、反応を示さなかつたと解することは、昭寿が、最初苦しそうに身体を揺つていたが、まもなく動かなくなつたという経緯及び同証人らを無視しなければならない必然性もないことから、首肯し難い。したがつて、昭寿車が海上に浮かんでいた時間内には、昭寿が明瞭な意識を有していたと推認できるような意思に基く動作は何も窺われないから、本件の場合、昭寿の意識が明瞭であつたとは認め難く、むしろ、同人は転落のショック等で意識に障害が存した可能性が大きいものと推認するのが合理的である。

(三) 被告ら、就中被告ホームは、死体検案時に昭寿の鼻口から蟹の泡のような小さな泡が出ており、このことは昭寿が意識のない状態での呼吸(小呼吸)ではなく、意識のある状態で普通の呼吸をしていたことは明らかである旨主張し、梶野証人の証言中には同旨の部分もあるが、しかし、前記認定のとおり、昭寿車の運転席側ドアの窓ガラスは、同車が沈没するまでの間は約一〇センチメートル程度しか開いていなかつたのに、同車が海中から引き上げられたときには全部開放されており、ドアは全部ロックされていたのであるから潜水夫等が右窓ガラスを開ける可能性はなく、右窓ガラスの開放は昭寿によつてなされたものと解するほかはない。右事実を合理的に説明するためには、自動車が海面下に没した後、昭寿が意識を取り戻し、何とか脱出しようと窓ガラスを開放したがシートベルトをはずすまでの余裕はなく溺水死したと解するほかはない。したがつて、昭寿が水没前に意識が明瞭でなかつたことと、蟹のような細い泡が同人の死体の鼻口から出たという事実は矛盾しないから、右被告ホームの主張もにわかに採用できない。(尤も、梶野証人の証言によると、死体の両手は少し上に向いて硬直していた旨の供述が存するけれども、昭寿が窓をあけた後、ベルトから抜け出るため、再びハンドルを押えたとも推測され、右証人の供述は必ずしも前記判断のさまたげとなるものではない。)

(四) 昭寿がシートベルトを着用していたことについて、被告らは、これを自殺するために身体を自動車にくくりつける手段として着用したと解しているようであるが、シートベルトが交通事故の際、自動車の運転者や同乗者の蒙る身体損傷の軽減に多大の効用を有することは公知の事実であり、一般にその着用率が低いことは、その効用についての理解が不十分な結果にすぎず、警察等ではシートベルトの着用を勧奨していること、昭寿は、前記認定のとおり、大きな交通事故を目撃したため、安全を守るため「これからはシートベルトを着用しよう。」と妻に話していたことや、シートベルトは自動車の運転を開始した後では着用しにくいから運転開始前に着用するものであり、昭寿は岸壁上に駐車し海や海釣りの人を見た後に自動車を発進させたものと思料されるので、岸壁上が交通閑散な場所であつても、そこが自動車の発進した場所である以上、昭寿がシートベルトを着用していたことに特段の疑念はないものと解するのが相当であり、同人がシートベルトを着用していたことをもつて、同人に自殺の意思があつたと短絡的に考えることは出来ない。

3  また、前記認定のとおり、昭寿には、自殺しなければならないほど精神面や経済面で追いつめられていた止は認め難く、また家族関係での深刻な問題を抱えていたとは窺われない。斉藤証人の証言中には、昭寿と妻との間が、妻が勤めに出たことから不仲であつたのではないかと窺わせる部分もないではないが、右は近所のうわさ話にすぎず明確な裏付けがあるものではない。原告怜子が勤務していたことが、不仲の原因となつたとしても、同原告は本件事故当時は看護婦としての勤務を辞めていたのであるから、不仲の原因は解消されていたものと推認される。

そして、前記認定事実によると、昭寿の性格、信仰等にも、自殺と結びつくようなものは見当らない。

4  被告らが、昭寿の死が自殺であると考える最大の論拠は、同人の死体を検案した梶野医師が自殺と判断した点にあるが、梶野証人の証言によると、昭寿の死因が溺水死であることは判断しうるが、自殺か事故死かは死後の状況判断によつて決められる場合がほとんどであり、同証人は、前記のとおり警察官から昭寿車は二、三分間は海面に浮いていたと聞き、普通の状態ならば危険回避の措置をとれるのにとらなかつたこと、シートベルトを着用していたこと、ブレーキをかけた形跡がなかつたことの三点から自殺と判断したと供述している。しかし右の三点から昭寿の死を自殺と判断することについては、多大な疑問の存すること前記判示のとおりである。

5  以上のとおりであるから、前記認定事実により、本件事故の態様、事故前の本人の心身の状態、行動、家庭環境、経済状態等諸般の事情を推認して綜合すると、昭寿の死は自殺によるものではないと推認するのが相当である。

四そうすると、被告両名の「昭寿の死亡は自殺によるものである。」旨の抗弁はこれを採用するに由ない。

第三被告日本生命の免責事由たる「重過失」の抗弁について。

被告日本生命は、事実欄第二の三の1の(三)記載のとおり、「昭寿の死亡事故は、自殺によるものでないとしても、免責事由たる本人の重過失によつて惹起されたものであるから、同被告には保険金支払義務はない。」旨抗弁し、原告らは、事実欄第二の四の1記載のとおり抗争するので、次に、この点について判断する。

一凡そ、前記第二において認定したとおりの事故死の場合において、被告日本生命主張の保険約款所定の免責事由たる「重過失」が存するというためには、(イ)、運転技術が未熟であるとか、(ロ)、飲酒又は薬物を飲んだうえで運転するとか、(ハ)、特に睡眠不足で運転するとか、(ニ)、雪や雨のためスリップが危惧されるような路面を運転するとか、(ホ)、スピードを出しすぎて高速で運転するなど特段の事情のもとでの過失が存する場合をいい、いわゆる前方不注視等の一般の過失はこれに該当しないものと解するのが相当である。

ところで、本件についてこれをみるに、前段第二において認定した事実によると、昭寿は一〇年の運転経験を有していたもので、事故当時は晴天の日中で、転落時の速度は時速三五キロメートル以下であつて、亡昭寿が事故当日特に睡眠不足であつたとか、酒を飲んで運転したとか、何らかの薬物を服用して運転したことを窺うに足りる証拠は何ら存しないし、その他特段の事情も認められない本件にあつては、昭寿の事故死は重過失によるものではないといわねばならない。

二尤も、被告日本生命は、昭寿が前方注視義務を尽していなかつたこと及び転落の直前に制動措置を講じていれば、あるいは車止めブロックに自動車を衝突させて岸壁からの転落を防止しえたのにこれをしなかつたことは重過失であると主張し、

(一)  前記認定事実によると、同被告主張のとおり、本件事故の際に昭寿に前方不注視の過失が存したことは否定できないが、前記判示のとおり、同人には本件事故の際に飲酒していたとか、薬物を乱用していたことを窺うに足りる事実は存せず、また、制限速度をはるかに超える速度で自動車を運転していた等の事実も認められないのであつて、前記前方不注視の如きは、本件事故現場の岸壁のように交通の閑散な場所では、他の交通機関に対する注意が疎かになりやすいため発生する頻度の高い過失と考えられるから、前方注視を欠いたことをもつて、免責事由に当る重過失と解することは困難である。

(二)  また、同被告は、昭寿が制動措置をとるべきであつたのに加速したことが過失であるとも主張しているのであるが、制動措置を講じていれば果して岸壁から転落しないで停止することが出来たと言えるだけの距離が残されていたかの点についてはこれを認めるに足りる証拠はなく、仮に右加速した昭寿の判断が誤りであつたとしても、昭寿がこのままでは転落すると気がついた一瞬の判断であつて、右判断の誤りをもつて免責事由に該当する重過失であるとは認め難い。

(二)  しかも、同被告は、昭寿が車止めに昭寿車を衝突させなかつたことが、免責事由の重過失に当る旨主張するけれども、前記認定のとおり、本件事故現場付近は10.12メートルに渡つて車止めが破損し、車止めとしての用をほとんど果していない場所であり、前掲丙第八号証によると、同車は右車止めの破損している部分の中央付近に沈んでいたようであるから、仮に、昭寿が左右にハンドルを転把しても、同車の転落を防止できるだけの高さを有する車止めブロックが存在していたと認め得る証拠はないから、昭寿が右の措置をとらなかつたことをもつて、免責事由にいうところの重過失と解することは出来ない。

2 また、同被告は、昭寿が海面に転落後自動車から脱出しなかつた点が重過失であると主張するけれども、右の脱出措置をとりうるためには、転落直後の昭寿の意識が明瞭であつて、生命に危険な事態であることを察知し脱出する手段、方法を即座に判断しうること及び右判断に従つて敏速に行動しえたと認め得ることが前掲となるが、前記認定のとおり、昭寿の海面に転落した直後における意識の状態については、これを明瞭であつたと認めるに足りる証拠はなく、同人が、同被告主張のような脱出行動をとることが出来たものとは到底認められない。

三以上のとおりであるから、被告日本生命の前記免責事由たる重過失に当る旨の抗弁はこれを採用するに由ない。

第四以上のとおりであるから、被告日本生命は、原告怜子に対し、保険契約に基き本件事故による災害死亡保険金の合計金一一〇〇万円及び右金員に対する本訴状送達の日の翌日であること記録に徴し明らかな昭和五四年八月一四日から右支払ずみに至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払う義務がある。

また、被告ホーム保険は、保険契約に基き、原告怜子に対し、死亡保険金二〇〇〇万円、また昭寿の相続人である原告らに対し、保険約款に基づき本件事故による自損事故保険金と塔乗者傷害保険金の合計金一五〇〇万円を、原告らの相続分に応じて支払う義務があり、前記認定のとおり、原告らの相続分は各三分の一であるから、原告らが被告ホーム保険に対し、各金五〇〇万円宛(原告怜子は合計金二五〇〇万円となる)及び右各金員に対する本訴状送達の日の翌日であること記録に徴し明らかな昭和五四年八月一四日から右各支払ずみに至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める本訴各請求はいずれも理由がある。

第五結語

よつて、本訴請求は理由があるからこれを認容し、訴訟費用の負担につき、民事訴訟法八九条、九三条を、仮執行の宣言につき、同法一九六条を、それぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(弓削孟 海老根遼太郎 太田善康)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例